2009年08月10日

ばーさまと遠い夏の日の話・その1

台風の映像が流れると、亡くなったばーさまと遠くなった夏の日を思い出す。
ばーさまは、戦後復員してきた漁師のじーさまんとこへ嫁にきたわけですが。
じーさまは叔父が生まれたかどうか、って時に海で亡くなくなったそうです。遺体はとうとうあがらなかったとか・・・涙
実際のところどうだかは分かりませんが、ムリをして漁に出たから、と聞かされましたので、どこか悪くしていたのか、あるいは天候でも悪かったのか。
子ども心にそれ以上は聞けませんでしたが、そういうワケで乳飲み子抱えて未亡人。苦労が生活、というような状態だったようです。
当然ともに苦労した息子で長男である父が時折語る子どもの頃の話も正直聞くのが辛く、なんで今も苦労しているんだろう?とぼんやり思ったことを覚えています。
苦労して苦労して、何でまだ報われてないのかなぁと。

その分子どもには甘くて、ばーちゃんも孫には甘かった。実際親にはそんなにほめられた覚えはないのだけど(ちょっと変わった子だったので、どうにか多数派の子にしようと必死だったらしい。ムリでしたけども)、ベタ褒め。この子は賢い賢いと喜んでおりました。孫バカきわまる感じで。

父の実家は恐るべきB一族なんですが(ばーさまB父B叔父B従弟妹もB、ついでに叔父の嫁さんもB)、そのせいかゆるゆるの大雑把な雰囲気がものすごく居心地良く、母の実家では緊張していた妹も気を緩めまくり。ついたとたんに畳でごろごろ。

仏間でじーさまに手を合わせてから、はしゃぐ年下の従弟妹どもを引き連れて海へ行き、昔は遠浅の綺麗な海だったという、今では見るかげなく汚れきった海へ行く。
貝殻を拾い変わったガラス瓶をしげしげと眺め、遠くの方で海苔をとっている漁師さんの船をぼんやりと眺めてあっという間に半日が過ぎる。
夕方になるともっともっと遠くの方で、夜に漁をするらしき船の影をみた。帰ってくる船の姿もかすんで見えた。
汚れてしまったとはいえ、ここも幸多きお伊勢の海であることに違いは無くて、実際ばーさまの家で食べる魚は本当に美味しかった。あの煮付けの味は今もはっきりと覚えている。
使い込まれた鍋、醤油のにおい、吹き上がる音、並べられた調味料、汚れないようにシートの貼られた薄い色のタイルの模様まで記憶に残っている。働き者の大きな背中、ベージュのエプロン、流しの下にはご自慢のぬか床があって、かきまぜるのが面白かった。

ジーワジーワと蝉が鳴いていて、従弟妹どもの世話をしてやりながらカキ氷を食べる。人の良い悪ガキと、気が強くて甘えっ子の兄妹に時折手を焼きながら、すっごいなついてくれるのが嬉しくて、しょうがないなぁと思いながら世話を焼いていた。

赤ん坊だった従弟ももう小学生になっていて(その間も帰省していたはずなのだけど、まーったく覚えていない。残念)、野球帽を被せて荷物を持ってやってテクテクと歩く。お昼食べてすぐこうだからなぁと、嬉しそうな従弟妹に分からないよう姉妹で小さく肩をすくめる。母方の年上の従姉妹もそうやっていたのかも知れない。

疲れたーと甘えてくる小さい従妹を背負ってやるために持っていた荷物を実妹に渡し、いいなぁとぶーたれる小さい従弟に、後でトランプしよっかー、と実妹が手を繋いでやりながら話しかける。小さく見えた従妹も背負うと存外重たくて、くっついたところから汗ばんできて、あーあ、と思いながら川沿いのばーさまの家へ向かう。お使いの西瓜が重たそうな実妹に、半分もってあげてよと従弟に声をかけると素直にうなづく。背の高さが全然違うからちょっと苦労していたけど、紐の長さを弄ってやったらそこそこ問題なくなった。

テクテク歩く。ジーワジーワと蝉が鳴く。

今はもう遠い、夏のことだ。

彼らもワタシも曲りなりに親と成り、実妹はまだまだ仕事に夢中みたいで、顔をあわせる機会もほとんどないけれど。

今年の秋には、もう少しだけ待ってくれていれば会えたはずの王子を墓前に連れて行く予定にしているから、懐かしい顔が見れるはず(多分)
ちゃんと親の顔をしているんだろうか、とあの小さい頃の顔を思い出しながら今から少し楽しみにしている。

11:42│1コマ劇場 | |blogram投票ボタン|日コマ雑記帖